鳥取へ その3 ~ 餘部(あまるべ)の鉄橋へ

浦富海岸島めぐりで山陰松島の一画ですが、雰囲気を楽しんでもらった後は、
前日、渡ってきました余部鉄橋

 写真:餘部鉄橋(赤い骨組み部分) 
現在はコンクリートの脚でできた橋梁となっています。

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鳥取へ向かってきます時は、トンネルを出るといきなり鉄橋を渡っていますし、
友人も写真を撮ろうと楽しみにしていましたのに、
あれよあれよ という間に通り過ぎてしまいましたので
じっくり眺めてみましょうと、
浦富からさらに海岸沿いを走って余部へ行きました。


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浦富から牧谷、羽根尾、東浜、諸寄など、
子どもの頃からの各海水浴場にまつわる思い出が多々ありますので
友人にあれこれ語りながら走りました。


ここはよく子どもの頃海水浴に連れてきてもらったの
ここは学生時代、バイトしてたの
ここでは合宿したことあるの

あれこれあれこれ・・



あまるべに到着したのは11:30ごろ。
ここは兵庫県です。
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わたしたちは 子どもの頃より呼びなれている 『あまるべの鉄橋』 と今でも言ってしまいますが、
現在は2010年より新しいコンクリートの橋となっているのです。
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赤い昔の橋脚。
写真で見るとおり↓、トンネルを抜けるといきなりこの橋梁を渡っていますから
写真を撮ろうと思うかたは、トンネル内から要準備ですね。
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赤い鉄橋が元気に活躍していた頃、
明治45年竣工ですって。
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この鉄橋での1986年の事故は、
私たちにはたいへんショッキングな事故でした。
日本海からの強風にあおられて機関車と客車の一部を残して、列車が鉄橋から転落。
下にあった工場は潰れ、車掌一人と工場の人5名、計6名の死者を出す事故となったのです。


今調べてみましたら、
回送列車になったばかりだったようで、そうでなければさらなる惨事だったでしょう。

まさか、風で列車が落ちるとは・・
それまで考えたこともありませんでした。

慰霊碑。
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この写真も上の赤い橋脚のところにあった写真です。
海から撮ってあって、かっこいいです。
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数年前に、両親とここを訪れた時には知ってか知らずか、
登らなかったのですが・・

『空の駅』 と 『餘部駅』

もし、登れることがわかっていたとしても、両親を待たせるのも心苦しいので
私は登っていないのだと思いますが、

友人を連れていたこの日、

最近老人会でここを訪れたという母が、
 あそこに登る道があるから登ってきたらいいが と提案するのです。

あそことは ココ
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まぁ、駅があるのですから
地元の人はもともと、どこかから登っていらっしゃるのでしょうが

こんないいアプローチができていたのだと
ちょっと驚きました。

地元の子どもたちの絵でしょうか。
『空の駅』へのアプローチで。
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登っていけるのは楽しいですが、
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下で待つ父のことが私はとっても気にもなっているのです。
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この赤い橋脚はこの部分だけ昔のまま残され、
この上が『空の駅』、展望台になっています。
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母は私を待つのは得意?ですが、
父は待つのが嫌いです。

とってもストレス感じながら待ってるだろうなぁ・・・

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餘部(あまるべ)駅
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空の駅』へ昔の線路を歩いて
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余部 の 表記・・・・
この記憶が私自身を混乱させます。

調べてみると 表記は餘部を使用とありました。
同じ兵庫県に余部(よべ)駅があるからと、

むかしむかしは こちら 余部の表記だったのかなぁ ? 

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う~~ん
『空の駅』展望台は、残念ながら格子の中。
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格子から覗くと
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ホトトギス
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明治の終わりに竣工という餘部鉄橋でしたが
餘部には駅が無く、地元住民は長い間、駅ができるのを待ち望んだのだそうです。
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鉄道が目の前に走っているのに自分たちは列車に乗れないって、
なんと理不尽な・・・・!

この駅ができるまでは、
餘部の人は鉄橋を歩いて渡り、トンネルを4つも越えて鎧駅まで行き列車に乗るしかなかったということです。


鉄橋を歩いて、というのも、すごいですね。
昔だから許されたことですね。


辛抱するしかないと思っていた餘部の人たちのにも
戦後の近代化の波が押し寄せるのが昭和30年ごろからのようで

餘部駅の設置を国鉄総裁などの強く陳情し、余部小の児童も知事に手紙を書くなど頑張りました。
その結果、余部鉄橋完成から実に47年目(昭和34年)にしてようやく餘部駅の誕生を迎えたということです。


子どもたちも海岸から岩石を運び上げ、ホームを作る手伝いをしたそうで
余部の人たち皆の思いがいかに強かったかが伝わってきますね。
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待望の一番列車を迎える余部地区民
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昔の橋脚や枕木でできた東屋
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『空の駅』の正体がわかり、
いつもあっという間に出発してしまうこの餘部駅の全様を知ることができました。


記事を編集しながら餘部鉄橋のいろんなことも学べて
子どもの頃から馴染みある鉄橋をよりいっそう知ることができ、

ここを歩いて登ってよかったなぁ
と思います。


とはいっても
じーちゃん(父)、待ちくたびれてるだろうな~~~ 


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この記事へのコメント

2015年09月08日 20:45
餘部・・・写真で見たことはありましたが、まだ行ったことはありません。
この橋の歴史と地域の皆さんの思いが、杏さんのレポートでよく分かりました。
強風に煽られて列車が落ちたことは、いつだったか知ったことを覚えています。悲しいこともあったと言うことですね。
ご両親を下に待たせて・・・でもご理解のあるお父さん、お母さんですね。
2015年09月08日 20:58
(続き)・・・そういえば、昭和49年3月に山陰線で皆生温泉に行ったんだっけ。その時通ったはずだよね。乗っていたので、杏さんの撮った写真のような景色は見なかったけど・・。
2015年09月08日 22:32
こんばんは!
餘部の鉄橋は知っています。一度行ってみたい場所の一つですがいつ実現するかは分かりません。
強風にあおられて列車が落ちた事故がありましたね。ニュース映像が今でも思いだされます。あんなに高い所から落ちるなんて衝撃でした。
空の駅まで登れるのですね。格子が残念、でも安全のためでしょうから仕方がありませんね。
待ってくださるご両親も素敵なら、ご両親を案ずる杏さんもやさしいですね。
2015年09月09日 08:33
丹稔さんへ
 餘部・・通られてるのですね。
気付かれなかったようですね、、山陰本線なら必ず渡られたはずですから。
でも、気付かれなかったのってわかります。鉄橋の上にいますのはわずか1分も無いのではないでしょうか。
京都方面から来る時は、トンネルを抜ければいきなり鉄橋を渡っていますし、鳥取方面から帰ります時も鉄橋が始まる餘部駅に来るまで全く見えず、山腹を走っていますから、
いよいよ鉄橋だぁ という時間が全く無く、気付けば鉄橋の上。しかも列車の座席からさほど高く感じないかもしれません。かなり意識していなけば気付かないまま通り過ぎちゃいますでしょう。

実際、私たちも今回、カメラを持って待ち構えてましたが、トンネル抜けてすぐに鉄橋だったことは記憶にありませんでしたがので、
私自身、彼女にあわてて鉄橋を渡ってることを告げましたが、彼女もえぇっ??という感じでした・・・
私は海側を撮影していて、彼女は逆方向を撮影していました。それに気付いて、海側のほうがいいよ、という暇もないくらいであっという間に鉄橋を渡り終え、餘部駅に着きました。
こうして下から見てなるほどこんな場所だったのか、と初めてわかる感じがします。
私の両親は・・理解あるというよりは、こんな娘を持ってしまったのも定めと思ってあきらめているのでしょうか、、笑
父は待ち時間はたいへん苦痛だったようです。 
2015年09月09日 08:50
ekoさんへ
 餘部の鉄橋は、この存在も事故も有名なのですね。
写真で比べてみますと、今のコンクリートの橋より、昔の赤い鉄橋のほうが、
ノスタルジーを感じ素敵ですね。単に懐かしいのかもしれません。
ここは、鉄橋を列車で渡った記憶より、子どもの頃からたまに走るドライブコースでした。
『空の駅』・・そうなんです、格子がとっても残念でした。一部くり貫いてガラス張りの所でもあればいいのに、と思いました。
両親はやさしい・・そうですね、ありがとうございます。私は我侭むすめ、我侭母、我侭妻ですが・・・・!(;^ω^)

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