帰省 姫路公園 - 姫路の稲田 - 昔の遊園地
季節は秋へと確かに移行しているようで、過ごしやすい気温になってきましたが
いま一つ、青空が恋しい東京です。
この週末は宇都宮へ出掛けていて、
昨日(25日)の宇都宮はよく晴れて暑い一日、青空もたくさん見られました。
東京も晴れていたのかな。
今朝は東京の朝ですが、またどんよりとしています。
早朝5時過ぎあたりは、もっと明るい空でしたのにね。
...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...
鳥取帰省の記事をもう少し続けます。
故郷の田舎の様子、見てくださいね。
鳥取に帰省して二度目の朝、
早朝、6時過ぎの実家の裏の畑。
今年から、ここだけの畑になってしまいました。
水やりしている母は、満82歳。
若そうに見える母ですが、ちょっと立ち姿がおばあちゃんっぽくなりましたね。
本人には言えませんが。・・( ̄▽ ̄;)!!
さあ、
今日はどこへ出かけようか、と母も父も楽しみにしていますよ。
まずは、お墓の前にある大きくなってしまった木の伐採へ。
祖母が大好きだったサルスベリの花の木を、邪魔してるからというのが伐採の理由です。
8:20
5年前くらいまでは梨の果樹園だったお墓へ。
お墓の場所だけを残し、どんどん雑草に覆いつくされてしまいました。
寂しいですが、こうして、二人で三輪でここまで登ってくる様だけは、何年も変わりません。
田舎の墓地ではよくハナノキというのが植えられています。
サルスベリの木の横でどんどん大きくなっていくハナノキを切ります。
巨木ではありませんが、かなりの大株。
父がもう、ノコギリを持つのもたいへんになってきたので
私と母との女手だけで伐採しました。
それでも何度かノコを入れて切っていけばいいだけのことですから、
片付けも含めて30分程度で作業終了。
さあ、この後どこか出かけてきましょう。
その前に、いつも父が買い物兼、お茶飲みに立ち寄るお店へ。
父はここで毎日買い物するたびに珈琲タイム。
知り合いがいれば話をして帰ってきます。
この日のコースも父が決めます。
子どもが小さい頃に夏に行ったことのある、姫路へ。
ここは、この谷では一番奥の集落でもあります。
立派な姫路城のある兵庫県の姫路ではありませんよ。
鳥取のお山の中の姫路です。
この日は集落の入り口に位置する姫路公園も夏休みを終えて、たいへん寂しく感じました。
子どもたちが魚のつかみ取りなどしていた記憶がありますよ。
ここにあったお店でかき氷をおごってやると父。
そんなに暑い日でもありませんでしたので、私も母もそれほど食べたいとは思いませんでしたが、
おごってやると言った父自身がかき氷を食べたいと思ったのだということはわかりましたから、
しかたなく? 笑 かき氷をおごってもらうことに。
美味しい?
うん♪
昔は、
この姫路の奥に行ってみたこともなく、ここで引き返すだけでしたが、
父母が昨年ごろ、この奥へ行ってみたら、
姫路の人の田んぼがあって驚いた、ということで、
ここからさらに登ってみましたら
綺麗な田んぼがありました。
こんな山の一番上を切り開いて田んぼにされてたんですね。
さらに進んでいきましたら
鳥取市ですって。
おやおや・・・・♪
可愛らしい眺め♪ ヾ(*´∀`*)ノ
私が運転中ですが、
私は運転しながら結構怖い道もありました。
それというのも道の幅ではなくて
舗装されてない場所では、真ん中が盛り上がっていて、軽自動車ですから腹をすらないかと
ヒヤヒヤしながら運転しておりましたよ。
でも、
昨年ごろにここを走ったという父は
大丈夫、大丈夫、と平気でしたねえ。
峠などでは怖がりを発揮する母も、
ほら、いい眺めだろう、
と嬉しそうに乗っていましたねえ。
まぁ、
臆病にならずにどこまでも車で二人で行けるのはいいですけど
お願いだから4つの目でしっかり見ながらドライブしてね、
と祈らないではいられません。
この風景は、
杉の木の固まりがたいへん綺麗に見えましたので。
9月3日、
稲刈りも始まっています。
そして、この後!
父母の案内で走っていますし、
へんな方向からのアプロ―チで私自身はどこを走ってるか、ほとんどわからなくなっていましたが、。。
そうなんです
どこをどう走ってここを通ることになったのか (・・?(・・?
昔のアプローチは、この下手からだったということです。
たしかこのあたりを入って行ったと思うと父母が言います。
ここは、鳥取の東部に初めてできた遊園地、プレイランド(1986年-1995年10月)があった場所なのです。
開園当初より、こんな場所に造ってもきっとすぐに潰れるよ・・・( ̄▽ ̄;)!!ガーン
と、地元民も心ないことを言っておりましたが。。。。
そうなのです。
結婚して間もない頃突然できて、
何年営業が続いたのか・・・あっという間に閉園を余儀なくされたもと遊園地のあった場所です。
ここへは、1度しか来た記憶がありません。
一度きりでいいや、と思えるほどの遊園地だったということかな と思います。
施設が解体される前を捉えた記事のページがありました。
→廃墟探索報告 『呼称・廃墟遊園地 鳥取プレイランド 場所・鳥取県』
このページで閉園になった理由として
雪深い地域のため、冬季の閉園期間が長期に及ぶことと、
経営していた会社が阪神・淡路大震災の被害に遭うなど悪条件が重なった
とありましたよ。
峠を下りてきましたら、こんな場所がありました。
湿原のようで、この案内板が設置された頃には、ここを観光地にしようとされたのでしょうか。
木道がずっと敷かれていたようですが、全て朽ち果てていて、現在はもう誰も踏み込んではいないようです。
残念!
この後、岩美町へ抜けていきました。
この日も懐かしい地を巡ることができましたよ。
お父さん、お母さん、お疲れさまでした。
...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...
いま一つ、青空が恋しい東京です。
この週末は宇都宮へ出掛けていて、
昨日(25日)の宇都宮はよく晴れて暑い一日、青空もたくさん見られました。
東京も晴れていたのかな。
今朝は東京の朝ですが、またどんよりとしています。
早朝5時過ぎあたりは、もっと明るい空でしたのにね。
...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...
鳥取帰省の記事をもう少し続けます。
故郷の田舎の様子、見てくださいね。
鳥取に帰省して二度目の朝、
早朝、6時過ぎの実家の裏の畑。
今年から、ここだけの畑になってしまいました。
水やりしている母は、満82歳。
若そうに見える母ですが、ちょっと立ち姿がおばあちゃんっぽくなりましたね。
本人には言えませんが。・・( ̄▽ ̄;)!!
さあ、
今日はどこへ出かけようか、と母も父も楽しみにしていますよ。
まずは、お墓の前にある大きくなってしまった木の伐採へ。
祖母が大好きだったサルスベリの花の木を、邪魔してるからというのが伐採の理由です。
8:20
5年前くらいまでは梨の果樹園だったお墓へ。
お墓の場所だけを残し、どんどん雑草に覆いつくされてしまいました。
寂しいですが、こうして、二人で三輪でここまで登ってくる様だけは、何年も変わりません。
田舎の墓地ではよくハナノキというのが植えられています。
サルスベリの木の横でどんどん大きくなっていくハナノキを切ります。
巨木ではありませんが、かなりの大株。
父がもう、ノコギリを持つのもたいへんになってきたので
私と母との女手だけで伐採しました。
それでも何度かノコを入れて切っていけばいいだけのことですから、
片付けも含めて30分程度で作業終了。
さあ、この後どこか出かけてきましょう。
その前に、いつも父が買い物兼、お茶飲みに立ち寄るお店へ。
父はここで毎日買い物するたびに珈琲タイム。
知り合いがいれば話をして帰ってきます。
この日のコースも父が決めます。
子どもが小さい頃に夏に行ったことのある、姫路へ。
ここは、この谷では一番奥の集落でもあります。
立派な姫路城のある兵庫県の姫路ではありませんよ。
鳥取のお山の中の姫路です。
この日は集落の入り口に位置する姫路公園も夏休みを終えて、たいへん寂しく感じました。
子どもたちが魚のつかみ取りなどしていた記憶がありますよ。
ここにあったお店でかき氷をおごってやると父。
そんなに暑い日でもありませんでしたので、私も母もそれほど食べたいとは思いませんでしたが、
おごってやると言った父自身がかき氷を食べたいと思ったのだということはわかりましたから、
しかたなく? 笑 かき氷をおごってもらうことに。
美味しい?
うん♪
昔は、
この姫路の奥に行ってみたこともなく、ここで引き返すだけでしたが、
父母が昨年ごろ、この奥へ行ってみたら、
姫路の人の田んぼがあって驚いた、ということで、
ここからさらに登ってみましたら
綺麗な田んぼがありました。
こんな山の一番上を切り開いて田んぼにされてたんですね。
さらに進んでいきましたら
鳥取市ですって。
おやおや・・・・♪
可愛らしい眺め♪ ヾ(*´∀`*)ノ
私が運転中ですが、
私は運転しながら結構怖い道もありました。
それというのも道の幅ではなくて
舗装されてない場所では、真ん中が盛り上がっていて、軽自動車ですから腹をすらないかと
ヒヤヒヤしながら運転しておりましたよ。
でも、
昨年ごろにここを走ったという父は
大丈夫、大丈夫、と平気でしたねえ。
峠などでは怖がりを発揮する母も、
ほら、いい眺めだろう、
と嬉しそうに乗っていましたねえ。
まぁ、
臆病にならずにどこまでも車で二人で行けるのはいいですけど
お願いだから4つの目でしっかり見ながらドライブしてね、
と祈らないではいられません。
この風景は、
杉の木の固まりがたいへん綺麗に見えましたので。
9月3日、
稲刈りも始まっています。
そして、この後!
父母の案内で走っていますし、
へんな方向からのアプロ―チで私自身はどこを走ってるか、ほとんどわからなくなっていましたが、。。
そうなんです
どこをどう走ってここを通ることになったのか (・・?(・・?
昔のアプローチは、この下手からだったということです。
たしかこのあたりを入って行ったと思うと父母が言います。
ここは、鳥取の東部に初めてできた遊園地、プレイランド(1986年-1995年10月)があった場所なのです。
開園当初より、こんな場所に造ってもきっとすぐに潰れるよ・・・( ̄▽ ̄;)!!ガーン
と、地元民も心ないことを言っておりましたが。。。。
そうなのです。
結婚して間もない頃突然できて、
何年営業が続いたのか・・・あっという間に閉園を余儀なくされたもと遊園地のあった場所です。
ここへは、1度しか来た記憶がありません。
一度きりでいいや、と思えるほどの遊園地だったということかな と思います。
施設が解体される前を捉えた記事のページがありました。
→廃墟探索報告 『呼称・廃墟遊園地 鳥取プレイランド 場所・鳥取県』
このページで閉園になった理由として
雪深い地域のため、冬季の閉園期間が長期に及ぶことと、
経営していた会社が阪神・淡路大震災の被害に遭うなど悪条件が重なった
とありましたよ。
峠を下りてきましたら、こんな場所がありました。
湿原のようで、この案内板が設置された頃には、ここを観光地にしようとされたのでしょうか。
木道がずっと敷かれていたようですが、全て朽ち果てていて、現在はもう誰も踏み込んではいないようです。
残念!
この後、岩美町へ抜けていきました。
この日も懐かしい地を巡ることができましたよ。
お父さん、お母さん、お疲れさまでした。
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