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zoom RSS 時系列的に-胸部大動脈瘤ステントグラフフト内挿術と心臓冠動脈狭窄カテーテル - 母心臓手術2回の旅3

<<   作成日時 : 2017/08/28 23:03   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 48 / トラックバック 0 / コメント 0

自分自身、この手術はどんな経過をたどっていたのか、
始まりも、前のメモを見て思い出すという
儚い記憶力・・・。


時系列的にまとめておこうと思います。


長々と
蘇る記憶を取り混ぜながら綴っております。 m( __ __ *)m



そうそう・・・
母の2度にわたる心臓の手術は、無事終了しておりますよ。
安心してください。

あとは本人の心次第、という、へんな心筋症がラストにおこってしまったのが
少しばかり心配の種が無いこともないですが・・・




 ●2月中旬 母の鳥取の心臓かかりつけ医師より、静岡にいる私の携帯に直に電話あり。
         お忙しい中、時間を割いて丁寧に電話でお話ししてくださいました。
        ただ、内容が・・・・

        ・何年も前からある胸部大動脈の瘤が前々回の検診で動き出していて、
        ・今回の検診でもさらに大きくなっており、
         このまま放置すれば早ければ2〜3年後には破裂する可能性があること。
        ・その幾つかの危険性。
        ・母の場合、造影剤のアレルギーがあるので高齢者にはよいと言われているステントグラフト
        の手術は行えないので、負担が大きいと言われる開胸になること。
        ・瘤のある位置も悪いので、上記の理由に加えて、
         さらにステントグラフトの手術は行うのが難しいこと。
        ・また、瘤の位地が脳にいく血管の近くにあるので、 
         そうでない人より血栓が脳に飛んで脳梗塞をおこす可能性が高くなること。   
        ・この病気は愧じれるまでは痛くもなんともなく、その時まで元気ですごせること。
        ・等々をふまえ、手術をするのであれば、少しでも体力のあるうちがいいので
          次回の半年後の検診までに、家族で手術をするかどうかを決めてきて欲しい。


    というものでした。


       これではとても手術を受けさせることはできない。
       ほおっておけば早ければ2年も待たないで愧じれるかも。
       時はこれから春になるところ、、春にはまた青春十八きっぷで鳥取へいき、
       春の花を一緒に楽しもう、
       なんていつもの風景も、あと2年で終わりかと思うと
       覚悟は覚悟でしていたのに、そんなの嫌だと心が叫ぶ。
       私の心はどうでもいいとして、では一年後ともなればさらに母は
       毎日、今日はじれるかも、明日はじれるかも、、
       と心配しながら生きることになるのかしら。
       歳も歳なので、突然の報せは覚悟していたはずなのに、
       こういうふうにきたか、と実に思いました。

       大きくなること知らせてくれなければよかったのに・・・・
  

     大検索開始。
     

  いくつかの病院の候補を持参して、かかりつけの先生に紹介状をお願いしよう。と決心する。

  候補病院の資料など大量にプリントアウト(両親に見せるため)
       
    
                
 ●3月17日鳥取へ移動
  (一週間ほど滞在・青春18きっぷ利用)
 
  まずは、当初絶対に手術をしないと言っていた母が手術を受けようかなという気持ちになるよう
  働きかけが肝心、最初にやること。

  父はどうしても手術するなら鳥取でやればいい、と言いはっていましたが、
   結局は、母の決断にまかせるしかなかったようです。

 ●3月23日
   鳥取のかかりつけの先生のところで、
   県外の心臓の権威の大病院をいくつか提示し、おススメをきく。 
   大坂の某病院に決定し、紹介状をお願いし、静岡へ
   初診日の連絡を待つ。

   
   と、私の決定に従って、母の手術の旅は一歩を踏み出したのですが、
   これが簡単ではなく、やはり、母ももともとは命を懸けるのですから、怖くてやりたくないわけですし、

  かといって数年後に愧じれる愧じれると思いながら生きなければならないのも、もちろん本人は嫌ですし、
  
 ただ、実家に帰って両親の顔を見ましたら、二人の顔に本当の笑顔はなく
 写真を撮ってもどこかしら悲しそうであり、
 私の息子も心配してるから、メッセージを送ってやってと、母のメッセージ動画を撮って、
  「お母さん、メッセージ撮ったよ、お父さんも、メッセージ送ってやってよ」
  父に見せましたら、それを見るなり、
  「なんだ! おかあちゃん、泣いとるがなぁ、、わしは絶対撮らん!」
    やくしますと、母のメッセージ動画は決して泣いているわけではありませんが
    笑顔ではありますが、家族にはわかる泣いた顔で喋っているのです。
    それを見た父は、悲しくて、自分はメッセージ動画なんて撮りたくない、送りたくない、
   と。
    
  手術を受けないかぎり、二人はこれからずっとこんな悲しい顔で暮らすのかな。

 二人でいつもの近所のドライブコースをまわってくるというドライブに行った時の話をききました。
  「おとうちゃん、このまま心臓がはじれなかったらいいのになぁ」
  と言いながらドライブしたのだとか。

  あと、母を手術しようと決意させるために、と私が言ったのが。、、
  「この歳になってもう切ったりしたくない、愧じれたら愧じれたでいい、」
  という母に、 
  「愧じれたら、痛いよ・・・ウゥっっってなるんだよ」
   かなり酷な言葉ですね。


  両親に子供は私ひとりですから、誰にも本当の意味で相談できなかったのが辛かったです。
  近くに住む従妹にも相談してみましたが、彼らは私のような経験もまだ無く、
  また、あまり安易に何も言えないところもあるでしょう。
  両親のこれからの運命を一手に引き受けなければならない、そんな重圧でもありました。
 
  母を動かした大きな要因は、
  検索の中で見つけた、あるかたの体験記に綴られていた
  心臓の権威の某大病院の先生のお話しでした。

 私自身が、大検索の中で、
 その体験記を読み、、母に手術をする方向に説得しようと決意した言葉です。



 その体験記で、
 そのかたも、高齢のお母さまに対してうちと同じような宣告を受け、家族で手術をするかどうか決めてくれと言われていたかたですが、
 決心がつかずにいたところ、
 某大病院で、
 あらゆる危険性、リスクを例のごとく説明されたあと、
 その先生は、
 「まぁ、僕なら自信あるけどね」
 と言われたそうです。
 その言葉で、手術を受ける決心をし、手術されるご本人も、
  この先生にお任せして、その上で何かあっても文句言うつもりもない、
  と手術に踏み切られた、というものでした。

 この事例を母に紹介し、
 手術するしないは、後で決定すればいい、
 とりあえず、初診くらいは、行ってみようよ。
  (上記体験談の病院ではありませんが)

 こんな感じでとりあえずは大阪で受信してみるよう説得。

 さらに、心臓の権威の病院であれば、備わっている医療機器に格段の差がありますし、
 そんな病院で経験を積まれた医師であれば、自信もあり、
 心強い言葉をもらえる可能性があるはず、と。





 ●4月17日
   母の大坂の病院、初診を控え、静岡から鳥取へ移動
   (青春18きっぷ使えず、残念!)

  ということで、
  ここからまさかの4か月、静岡に帰れないこととなりました。


 ●4月20日
   大坂の病院で初診
   (この時は、父も一緒でしたし、体力を考えて 前泊で19日、ホテル泊。)
   
待合で3人で待ちました。
  父も車椅子でたいへんだったと思います。

  他の先生がたの診察は12時をまわって次々終了していきましたが、
  母の診ていただく予約を入れていただいてる先生は人気があるのか、いつまでも終わりません。
  看護婦さんがいらっしゃって、予約の先生からも許可が出ていますし、他の先生がたもどの先生も
  優秀な先生ですので、よろしければ、診察が終わっている他の先生に診ていただいてはどうですか、

  と言われました。
  でも、予約を入れていただいている先生は、私もいちばん診ていただきたかった先生ですし、
  この先生なら、私たちが望む言葉をくださるのでは、というかすかな期待のみを抱いて来ているわけですから、
  「この先生に診ていただける、ということで嬉しい気持ちで来ましたので、
   他の先生には失礼ですが、この先生を待たせていただきたいです」と断りました。

  そうです、この日の最大の目的は、
  力強い言葉をくれる先生との出会いだったからです。
  ただ、その選択も、吉と出ますか、凶と出ますか、、、、!

  吉と出ました。
  ラストに呼ばれて入りますと、人懐こそうにほほ笑んで迎えてくださった先生に
  心が解放されるようでした。
  鳥取の掛かりつけの先生からのCDの資料をクルクル見ながら、
  うん、これはできそうだよ、
  なんとでもなるよ、
  検査してみなければわからないけど、見た目は丈夫そうだから(母のこと)、
  手術には耐えられそうだし。
  心臓が止まりかけたら、コテコテしてまた動かしてあげるよ。
  開胸でやらないなら、造影剤はアレルギーの出ないものを使えばいいし。


  待っていた言葉以上の言葉をいただけました。
  歳なので心配で、という私に

  83? 平均年齢いくつか知ってる? まだまだ若いよ。


 とりあえず、検査入院してみれば!
 手術するかどうかは後で決めればいい、
 検査したってしたくなければ断ればいいし、
 検査して手術できないとわかることもある。その時はできないとはっきりこちらから言うしね。

 入院してみれば、病棟には同じようなのが
 元気になって歩き回ってるから、
 それ見ると元気が出るよ、



 この、初診の帰り、
 母の顔に本当の笑顔が戻っていました。
 希望の光が心に挿しました。

 ただ、父は、いま一つですね。
 母が大阪で入院となると、母がそばにいる父にとっての天国の生活は当然中断されるのですから。
  ・・・・ ( ̄◇ ̄;)


 鳥取の実家へ戻る。
 検査入院の日の報告を待つ


 ●5月連休前に検査入院の連絡が入る。
  連休前なので断る。
  
 ●5月の連休
   鳥取の実家へ、夫と息子たちがやってくる。
   母と一緒に忙しくもてなす。
   母はもちろん手術前ですから、たいへん元気。

       ↓
    連休直前に突然きた入院案内を断ってから
    次の連絡がくるまで、少し日にちを要した。
    私が静岡に帰る日がまた伸びてしまうと、母はさかんにまだかまだかと言うようになる。
    こちらも覚悟して鳥取にきていいるのだから、そこは安心してゆっくり待つようにと
    何度さとしたことか。

    この段階では
    検査入院が終わったら、手術の予約が入るまで普通2〜3か月待たされると聞いていましたから
    検査入院直後に一度、静岡や東京に帰るつもりでいました。


 ●5月22日
    大坂
    21日に前泊でホテル泊。
     父も同行。
   大坂の病院で検査入院開始
    10日間ほどの予定で入る。
    当日、父と鳥取へ
      この日の帰りは高速を使わず、9号線に抜けるようにして、
        一般道だけで6時間ほどかけて帰宅。
     父はまだまだこの頃元気でした。

      ↓
   ・5月31日
     大阪in
     危険が伴うカテーテル検査
     母の場合は造影剤のアレルギーがあるので、危険度が増します。
     
     家族もいたほうがいいということで、また父と30日に前泊して大阪in。 
     検査、無事終了。


     このカテーテル検査で、
     心臓冠動脈の狭窄が見つかる。
     担当医から、この狭窄は90%ほど詰まっていて、こちらのほうが、動脈瘤が愧じれるだろう時期より
     切羽詰まった状況にあり、
     検査をして見つかってよかったと、母に告げられている。
     しかし、母はよくわかっていないようだった。

     これにより、母は心臓に2つもの大きな疾患を抱えていたことが判明
     2か所治療しなければ、どちらにしても長くはないわけで、、。
     
     
     大坂の病院までノンストップであれば3時間かからないので
     私1人なら当日行けばいいですが、父が一緒なので
     何度もトイレ休憩をしなければならなかったりして時間がかかるし、体力的にもたいへんだろうと
     いつも前泊して行っておりました。
    また、86歳の父を一人で置いておくわけにもいかず、
    父もドライブは好きですからついてきたがっておりました。
    
    危険なカテーテル検査も無事終わり、
    31日の朝行われる小さいほうの瘤を見るCT検査が終了すれば退院ということで、もう一泊する。

   ・6月1日 小さな瘤のCT検査
     ここで、軽い造影剤のアレルギーが出てしまう。
     入院して初のアレルギーが退院の日に。。。。( ̄▽ ̄;)!!ガーン
    様子見でもう一泊。

   ・6月2日  検査入院終了、退院の運びとなりました。

           やれやれ、、
     さて、
     手術をするかどうか、
     するとしたら、ステントグラフトか、開胸か.。
     退院時に尋ねられます。

     一応、するという方向にしようとは、母もこの入院で心を決めていましたので、
     この日、決めるのは、どの方法でやってもらうか。

     どの方法でやるかも、もう私にも母にも決められないので
     先生に任せると伝えると、
     先生がたのほうでは、決まっていたようで、

    「 では、
     ステント専門の先生ができそうだと言われるので、大動脈瘤は、
      (この、できそうだと言われるので、、、という表現がひっかかりましたが、、、、)
     ステントグラフト内挿術で。

     初めに、ステントグラフト。
     6月13日入院。
     手術は6月15日


     冠動脈狭窄のほうのカテーテル治療は、7月か遅くとも8月に。」

      

      と、一気に伝えられた。

      ステントグラフトが先になったのは、何かの理由があったのですが、忘れてしまいました。
      血液サラサラの薬が一因だったかもしれません。

      メモを必死にとりながら、
      手術は2〜3か月は待たされると思い込んでいたところの、
      あまりに近い日程を提示され、少々動揺。

      普通は2〜3か月待たされるところが、こんなに早くなったのは、
      先生が発見できて喜ぶように母に伝えられた狭窄のほうが猶予なかったからのようです。

      
      一度、静岡、東京に戻って待機のはずが、
      そのまま鳥取滞在延長となりました。

       
      初診で出会った手術に踏み切る言葉をくださった先生は開胸専門で
      ステントグラフトでは、その先生に執刀していただけないことになるのが、
      とても残念ではありましたが、
      一般的に、高齢者はステントグラフトのほうが体力的に考えるとよい、というのは知っていましたので
      一番母にとってよい方法を考えてくださっているのだから
      しかたないな、と思いました。

                 ↓

        ウィークリーマンション、探す
        (父も一緒に大阪に同行するため、自炊できてゆっくりできるという意味でホテル滞在でなく
          ウィークリーマンションを選択)
        ただし、私が探す地区の大阪のウィークリーマンションは、
        ほとんど駐車場がなく、近くの有料駐車場を使用するので
        車利用者には、決して安くなく、ホテル泊のほうが、金銭的にはいいくらいです。



 ●6月12日
    いよいよ大動脈瘤の手術を前に、大阪へ
    13日の入院の前日、父も連れてウィークリーマンションへ

   ・13日入院。
   ・15日 胸部大動脈瘤ステントグラフト内挿術
        少々トラブりましたけど、なんとか無事終了。
        手術終了ではなくて、先生がお話しがあるので○○室へきてください、
        との報せを受けたときは、あせりました。
         ⇒胸部大動脈瘤ステントグラフト内挿術で手術を受ける
     16・17・18日とICU
    ・19日、一般病棟の個室に出る。
         体には、まだいくつも管がついていました。
        
    
 ●6月23日(金)
    ウィークリーマンションの契約の一日前に、マンションを引き上げ、父を連れて鳥取へ
    父の状態が日に日に悪くなり、母もまだまだ心配だけど、
    母は病院にお任せすればいい。
    翌日は土曜日なのでかかりつけ医に見せることができると思ったため。

    食も細くなり、全体に弱っているのがわかりましたから
    大坂の医者に行こうと何度も進めたのですが、父がどうしても首を縦にふらず、
    何日も経過していましたから。
   
    ・24日(土)
     かかりつけ医に行こうと朝から言うのだが、
     腕をふり、「げーんき元気!」 と嬉しそう。
     父の日課、社交の場であるお茶できるお店に午前中出かける。
     みなに、母の手術がなんとかうまくいったこととか、自分が大阪でたいへんだったこととか
     いつものかたたちにお話しできて大満足のよう。
     あー、そうですか、私はおかあさんが心配なんですけど・・・
     こんな元気なら帰ってこなきゃよかった、
       ウィークリーマンション、あと一泊契約残ってたし・・・怒


     などと考えてましたが、
     家に帰ってベッドで寝ている父は、どんどんしんどそうな感じ。

     医者にいこうかと何度か言うのに、いい、いい、のいってん張り。
     夜になって、どうみても、しんどそうな肺の音がする。
     ベッドから起き上がるのもしんどそうになってきていたのですが、
     トイレにいきたくて、立ち上がった父は、寝てるときより元気そうに歩くjので
    
     お父さん、救急に行くよ!
     そのまま車に乗って!

     ということで、救急にいきましたら、父はそのまま入院となりました。

     もともと肺が弱いのですが、この日も肺が白くなり始めてる、ということでした。

     ・6月28日 大坂へ母を見舞う。
            朝、父の病院で父の動画を撮り大坂へ。
            母に父の動画を見せ、母の動画を撮り、鳥取へ。
            夕方、父の病院へ寄り、母の動画を見せ、帰宅する。
            忙しいようで、最近に無い充実した一日でした。
     
     ・7月1日(土) 父退院。


 ●7月7日
    母、胸部大動脈瘤、退院
    大坂、日帰りで。 父は同行せず。
   

   胸部大動脈瘤の手術は母にとって、とてもたいへんなものでした。

   普通に大動脈にステントを挿入するだけでなく、母の瘤は脳に行く動脈のあたりにあったので、
   そこにステントを挿入すると、脳に血がいかなくなるため、
   開胸はしないまでも、鎖骨の下や首のあたりを4〜5か所切り、メスを使用した手術が行われていました。

   瘤あたりの重要な血管を、数本切り離し、他の場所から血を送るように、
   本来の位地と全く違った場所に血管を繋いで置き換えるという処置を行ってから、
   ステントを挿入しています。
   術中のトラブルもあって、出血も多く、
   ICUで初対面したときは、ダメージが大きすぎる姿に、私は正直ショックを受けました。

   術後、胸には10sほどの重りをぶら下げているようだといい続け、声もおかしくなっていましたし、
   何よりも、利き手である右手の神経が傷つけられていて、麻痺しているような、力も入らず、 
   疼痛が続いていて、もう2度と手術はしたくなくなっておりました。

  退院前に、この日、次の冠動脈狭窄のほうの担当である先生とお話しをして
  手術日を決める、ということでお会いしたのですが、
  母がもう手術しない、としか言いませんので、どうしようもなく、
  18日に、動脈瘤の術後診察でまた来院されるので、その時までに決めてきてくださいね、
  ということで、この日は退院しました。
   ┐(´д`)┌ヤレヤレ

  せっかくこれほどたいへんな手術を無事終えたのに、
  次は今回のものに比べればずっと軽い手術だし、そちらが急ぎで処置しなければならないほうなのに、
  それをしなければ、一年もしないで、うぅっ・・・ということになるかも、なのに、、、

  母は先生の顔を絶対に見ようとしませんでしたよ。
  
  あんなにやさしげに、母をみつめてくださっていたのにね。


 ●7月18日
    大坂へ
    退院後、10日の診察
    異常なし。
    狭窄の手術をしないと、やっぱりいけないらしいと悟った母は、
    カテーテル治療の予約を入れました。
    7月2日入院、3日カテーテル治療。

 
    
 ●7月25日
    右手の神経の痛みがひどく、鳥取の神経科でみてもらう。
    大動脈瘤手術時に神経に触れたと執刀医の先生が言われた。
    母の神経損傷の疼痛は、根本的な治療はなく、気長につきあうしかないよう。
    検索してみると、脳に関係していて、そちらからのアプローチで治療する方法が研究されているらしい。
    被験者を募っていた。

     心配していたが、徐々にではあるが、
      現在は少し痛みが弱くなってきているらしい(6月28日記)
   

 ●8月2日
   大坂へ、
   心臓カテーテル狭窄カテーテル治療のため入院。
   今回は、予定では3日に手術、5日に退院と、
   前回に比べれば軽い手術だろうからと、父も前回の大坂滞在、その後自身が入院と
   懲りたため、父は同行せず。
   母は病院、私は1人でホテル泊。

  ・3日
    冠動脈狭窄カテーテル治療
    午後1時からの予定が、緊急がどんどん入り、午後6時を過ぎてからとなる。
    母はどんどん不安で機嫌が悪くなり、私に言ったのは・・・
    「○○(結婚式場)の嫁さんは、順番が遅いほど、出来が悪いだって」
    要するに、先生がたも疲れると手術の腕が落ちるのでは、と言っている。
    「大丈夫、先生たちは、いくつ手術をこなしたって、
     次の手術には万全を期して臨んでくださるから」
    と、母を諭す。
    いや、母を叱っておりました。
    あまりに心配してゴネゴネ言い始めるので、、、
    もう手術しないと言い始めましたよ。

    わかったから、
    誰も嫌がる人間を無理やり手術するのは嫌だから、
    本当にしたくないなら、私でなく看護婦さんやお医者さんに言って!

    本当にそう思いましたよ、 
    これほどダダをこねてるものを無理やり処置室に送れないと。。、。
      ε=( ̄。 ̄;)フゥ
    また予約のし直しだな、と半分こちらは覚悟です。

    看護婦さんたちが6時過ぎて、ごめんなさい、と急いで迎えにいらっしゃると、
    さっきまでのゴネゴネは嘘のように、
    明るい顔で立ち上がり、
     「さぁ、先生がたは頑張ってしてくださるでしょうけ」

    と、さもできたおかたのように、ストレッチャーにお乗りになりました。
    
    9時前に全て終わって無事帰還。
    本当は、父を一人にしておくことがたいへん心配なので、この日は
     手術が終わって、しばらく様子をみたら鳥取へ帰る予定でしたが、
     あまりにも遅くなったので、急遽ホテルをとり、大阪泊。

   ・4日
    術後も順調で、5日に予定どおり退院の運びとなりそうなので父に電話し、
    近くのいとこや、親戚に父のことをお願いしてもう一泊することに。

    ・5日
     母の心臓の困難なことは全て終了し、はれて退院、、、、
     のはずが・・・・


     朝迎えに行くと、
     帰る準備を全てすまし、洋服を着て、荷物もまとめてベッドの上において
     ベッドの恥に腰かけてる母の顔はうかない顔。

     朝おきたときに心臓が痛くて、看護婦さんに伝えると、
     これから検査をいくつかしてそれからのことになると・・・・( ̄▽ ̄;)!!ガーン

     蛸壺心筋症・・・・ストレス性の心筋症だそうで、
     中越地震など、大地震のあとに発症例が多くみられるものだという。

      ⇒母の蛸壺心筋症

   あとでまた蛸壺心筋症をさらに検索してみますと、
   悲しい時ばかりでなく、
   競馬を当てた、宝くじが当たった、結婚できた、 など
   嬉しすぎて発症したという報告例もあるということ。

   その記事には、なので、いつでも平穏な心を持って生活することだ、とありました。
   
   母は、全ての心配から解放され、家に帰れる日だったので、喜びすぎて発症したのでは、
   と母に伝えてみました。
   


    そんなこんなで
    退院がまた伸び、、、、、、
   
    蛸壺心筋症は、多くは時とともに徐々に治っていくものであるとありました。
    母も心配ですが、何日も一人にしている父が心配で
    この時も、母は一番安心な場所にいるのだから、と自分に言い聞かせ、
    鳥取にこの日帰ることに。

    夜9時頃、鳥取の実家着。

    でも、もっと母のそばにいてやればよかったと、父の顔をみたとたんに思いましたよ。

    玄関に出てきた父は、私が鳥取に滞在して4か月ほどになりますが、
    その間で、一番賢そうな表情としっかりした足取りで出てきましたもの。
    いつもは甘えているけれど、1人になるとしっかりしてくるんだなぁ、とつくづく思いましたよ。

   親戚のおばにも言われました、
   そんな状況でよくねえちゃん(母)を置いてきたと思ったよ、
   にいさんのことは、私だって、よーこさん(近くの他のおば)だってめんどうみるし。
   
 ●8月8日
   大坂へ、日帰り。
   母の見舞いに、父と行く。
 
  どうやら、父はこの日、見舞いではなく、迎えに行くと勘違いしてたみたいですけどね。

 ●8月16日
    母、退院。
    大坂へ

    父と夫(盆休みで鳥取に)と三人で迎えに。

   「喜ばないようにする」とおっしゃってましたよ、と
   担当の看護師さんが、会うなりおっしゃいました。
   上記のように、嬉しすぎてまた蛸壺を発症してはいけませんから。



 ●9月11日
   冠動脈狭窄カテーテル治療一か月後検診(予定)


  と、母の心臓手術の旅は、こうして終わりを見ました。
  現在(2017 8/28)も胸に10sの重りはぶら下げているようですし(母の感覚)
  右手の動きもまだ10%ほどしかもとに戻っていないようですし、
  神経損傷の疼痛も少しはよくなったとはいえ残ってしまい、
  母の大動脈瘤のほうの手術は、少し土産が付き過ぎているようで
  少々残念ではありますが、2年後には瘤が愧じれるかしら、との不安からは
  逃れられたわけで。
しかも、気づかないでいれば近い将来、心筋梗塞になること間違いなかったところからも
  逃れられました。
 
  高齢ですから、しょってしまったリスクを埋めるには若い人よりたいへんだと思いますけど
  働かなければならない世代、子供を育てなければならない世代ではないので
  ゆっくりと二人の生活をおくりながら、ゆったりと向き合ってくれたらと思っておりますよ。
  
  
  本当に、
  この何か月かの間、
  母はもちろんですが、
   私も父も、ほったらかしにされた夫もそれなりに頑張ったと思います。
  息子たちも、実は今年は我が家は地域の役がまわってきておりまして、
  私がいないところをあれこれ代行してくれました。
  まぁ、彼らも大人ですから、やるのは当然です。
  それより、お隣に山ほどお世話になりました。
  息子では無理そうなところは代わりにやっていただいたり、教えていただいたり。

  そして、
  鳥取のご近所さんや、
  親戚やいとこ、山ほどお世話になりました。

  きょうだいがいませんので
  話し相手にもなってもらったり、
  父の世話をしてもらったり、

  治療にかかわってくださった何人ものお医者様たち、
  病院でやさしく看護してくださった看護師さんも
  母のおしゃべり相手になってくださった病棟のおともだちも

  感謝の大きな山ができました。


  ありがとう、ありがとう、ありがとう、
  本当に、ありがとうございました!!!

          2017 8/28 記



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時系列的に-胸部大動脈瘤ステントグラフフト内挿術と心臓冠動脈狭窄カテーテル - 母心臓手術2回の旅3 杏@POCO A POCO/BIGLOBEウェブリブログ
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